約420年前、忠武公の愛国精神を取り戻す
木浦は朝鮮半島西南海の関門として北には西海を経てソウルに通じるし東南には南海の水路を利用して慶尚道に通じるし、栄山江に沿って内陸を行き来する入口なので木浦と名付けられた。 朝鮮世宗14年(1432)に全羅道水軍処置使営を移転し世宗21年(1439)には木浦萬戶鎭が設置されて歴史に名を挙げた。 続いて儒達山には烽燧台を立てて日本軍の侵入に備えた。 慶長の役の時に李忠武公は鳴梁海戦で勝ってからこちら高下島に水軍鎭を設置して約4ヶ月ぶりに約50隻の兵船と約8,000人の水軍を確保して露梁海戦で勝利を収められる国難克服の力を養った所でもある。 このような歴史の中に最初記録された木浦の意味を知られて約420年 前に忠武公が見せてくれた愛国精神を取り戻して現代人の護国精神を向上させようと木浦・李舜臣水軍文化祭が開催されている。
お祭り概要
- 期間 : 毎年4月頃
- 場所 : 高下島及び儒達山露積峰一円
- お問い合わせ : 木浦市文化芸術課 061-270-8320
主要行事
- 生誕祭 : 焼香や参拝、 祭典式奉行
- 凱旋将軍・水軍パレード : 朝鮮世宗及び宣祖水軍、現在水軍行列及び儀仗隊と軍楽隊の公演
- カンガンスルレ : 護国民俗遊びの中で一つであるカンガンスルレ再現
- 水軍交代式及び武芸示範、 文化祭祝賀音楽会、体験行事など
- 生誕祭
- 水軍交代式・武芸示範
- カンガンスルレ